FM三重『ウィークエンドカフェ』2015年7月18日放送

今回のお客様は、いなべ市大安町石槫で石槫茶の製造販売をしている『マル信緑香園』の五代目、伊藤典明さんです。
二番茶の刈り取りも終わり、今、伊藤さんの作業場に行くといいお茶の香りが
漂っているそうです。
お茶を焙じている香り・・・癒されますね・・・。

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■『マル信緑香園』について、お茶について

『マル信緑香園』は僕で五代目。
はっきりしたことはわかりませんが、お店をはじめてから140年ほど。
明治のはじめには、もう、お茶の製造販売をしていたそうです。

お茶にはお店によって特徴があります。
緑のお茶もそうなんですが、特にほうじ茶はよく出るんです。
ウチは直火で焦げる寸前まで焙じます。
しかし焦がしてしまうと商品にならないので、注意が必要です。
百貨店などに行くと電気で軽く焙じ、香りでお客さん寄せする焙じ方もありますよね。
本当に焙じ方でお店のカラーが出ます。
例えばお寿司屋さんではじめに玉子焼を食べると、そのお店の特徴がわかると言われていますが、お茶もそのニュアンスでほうじ茶を飲んでいただくと、お茶屋さんの特徴がよくわかると思います。
最近では実際、ほうじ茶が好きという方も増えているようです。
ほうじ茶は熱湯で入れるため、温かく飲めるので、特に冬によく飲まれましたが、最近では、冷たいほうじ茶も飲むんです。
ペットボトルでも冷たいほうじ茶が増えていますし。

いなべの『茶っぷりん』も緑のお茶かと思いきや、ほうじ茶プリンですね。
ほうじ茶需要が伸びてきている気がします。
スイーツでお茶というと抹茶が多いですが、実は普段飲んでいるお茶は、ほうじ茶的なイメージが強いですよね。

お茶の摘み取り時期は、5月に新茶が撮れ、それが一番茶、
例年7月頃が二番茶、そして10月の秋の番茶がありまして。
秋の番茶は、イコールほうじ茶なんです。
今現在、お店では、茶色いほうじ茶と緑の番茶をお出ししています。
なので、番茶を欲しいとお客さんに言われたら、緑か茶色か確認しないとならないんです
緑の番茶を渡すとクレームになってしまうことがあるんですね。
特に、いなべの人のお茶文化では、番茶イコールほうじ茶です。

 

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■もっと地元を知ってほしいという、故郷愛

僕が東京の大学に通ってた時、まあ、可愛いお姉ちゃんがたくさんいるわけです(笑)。
その子たちから出身地を訊かれて、三重だと答えると、ほぼほぼわからないんです。
伊勢神宮や鈴鹿サーキットとか、単体では知っていても、三重とは全然繋がっていなくて。
その時に、故郷に対する若干の寂しさが芽生え始めたというか・・・。
その後、高校教師となり、伊賀上野(現在の伊賀市)へと最初に赴任しました。
そこに行った時も、『いなべ市大安町』というと、「いなべってどこ?」と。
三重県内でもわからないと言われると、ますますふるさと愛が募ってくるんですね。
そういうのが積み重なり、帰ってきた時に、「この地元を知ってもらいたい」という気持ちが爆発したのだと思います。
現在はお茶屋を営んでいるので、お茶というアイテムを通じながら地域を外に発信する取り組みをしています、
いなべ市内のお茶屋では、どこにも負けないという自負があります。

 

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■『地域のおっちゃん』になりたい

家業を継ごうと決めたのは、祖父が病気になったことがきっかけです。
僕は体育教師で、柔道部の顧問をしていたので、その時にいた部員の生徒には申し訳ないという気持ちがありました。
しかしその一方で、教員には転勤があることが枷になっていた部分もありました。
昔はその学校に20年いるような名物先生がいましたよね。
今もまったくいないわけではないですが、だいたい県の方から6〜8年で転勤と決まっています。
そうなるとなかなか落ち着いてチーム作りもできないな、と思っていたのです。

このいなべには、自分たちも巣立った『石榑道場』という、少年柔道があるんです。
地元の大安中学校にも柔道部がありますし、教員をやめて地元に帰ることで、今まで僕が培った柔道に関することも、転勤もなくずっと関わっていけるのではと。
そしてもう1つ教員をやめ、家業を継ごうと思ったのは、地域でも組織でも、必要な人間力について。
正直、最近軟弱な子が多いなと感じていました。
必要なのは、知識より知恵
そういうことも、学校に勤めている時から、考え始めていました。

テレビの番組名ではありませんが、最近学校で教えてくれないことのほうが意外に大事でしょう。
自分が学校をやめて地元に帰っても、柔道を続けられる土壌はありますし、特に公務員を離れて『地域のおっちゃん』になったほうが、子どもたちと関われる一面もあり、自分自身の居場所はあるんじゃないかな、と。
いましたよね、近所のこわいおっちゃんとか(笑)。
時代は進めど、温故知新というか、大切なこと、変わってはいけないこともあると思うんですよね。

 

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■Facebookで話題となった『いなべの茶っぷりん』で町の活性化を!

『マル信緑香園』では、お茶を原料にした加工用のペーストがあるんです。
そのペーストのプレゼンをするとき、先方から商品サンプルを見せて欲しいと言われるんですね。
私の妻がよく、お茶を入れたパンをHBで焼いてくれるのですが、とてもきれいな色が出るし、しかもおいしいんです。
このお茶パンをいつもサンプルとして持って行っていたのですが、さすがにちょっと飽きてしまって。
なにか違うものを作ってと、妻に頼んだところ、お茶の入ったプリンを作ってくれたんです。
たまたま取引先に紹介しに行く時に、お茶プリンのことをFacebookで呟いたんですよ。

「茶っぷりんを持っていきます」と。

『茶っぷりん』てオヤジギャクですけど、勝手に名前を付けたんですよ(笑)

そうしたらFacebook上で「可愛い」「良い名前!」と反響があったのが2年前。
以来、この冴えたオヤジギャクを何とか活かしてあげたいという思いがあったんです(笑)。
そしてこの冬、またしても下がってきたお茶の知名度を上げる、良い活性化の方法がないかと考え、近所にあるケーキ屋さんの『こんま亭』の社長に相談とお願いしてみました。
するとすぐに乗り気になってくれて、知り合いにこの企画について声掛けをしていったところ、反響もあり。
それなら大々的にオフィシャルに展開し、説明会を開こうと、観光協会の会員、商工会のHPなどをお借りして告知をしました。
それがだんだん実ってきたという感じですね。
現在では15種類の『茶っぷりん』があります。
豆腐屋さんやパン屋さん、カフェやレストランでも購入ただけます。

7月21日から、名古屋の『さくら通りカフェ』で『いなべ市フェア』が始まります。
ここに、『いなべの茶っぷりん』が日替わりで登場しますよ。
僕はおいしいお茶の淹れ方をレクチャーするので、ぜひ遊びに来てくださいね!

ところで、『茶っぷりん』もそうなんですが、僕はお茶屋さんなので、それで生活ができるようにしないといけないんですね。
なのでお茶を広めていきたいし、そろそろ跡継ぎのことも考えています。
いなべ市のお茶屋さんでは一番若いのですが、それでも40歳を越えました。
5年後10年後、さらには20年後のお茶のあり方をイメージしながら取り組んでいく必要があります。
息子には、僕から後を継げとは言いたくないですね。
息子が継ぎたいと自分から言い出すような、さらには継いでも生活ができるような環境を僕が作っておくことが大切。

まだまだ柔道でもいろいろやりたいことはありますし、『いなべの茶っぷりん』も観光協会もいろいろ取り組んでいきたいし・・・根が欲張りなんですかね(笑)。